羅臼から相泊=2
 大いなる理論の矛盾 知床に砂防堰堤は似合わない
 
 岬町を流れるこの小さな渓流に、公共事業と称して莫大な税金がつぎ込まれる。
国土交通省の論理によれば、砂防堰堤の機能は,上流の山が崩壊して流出する土砂を、
時間を掛けて堰堤に堆積させる。提高まで土砂が堆積したとする、
なるほどその水平面積だけは土砂の崩壊を防げるかもしれない。
いやそんなことはない。たとえ堰堤の内部に土砂が貯まったとしても、
回りの斜面が崩落しない保証はない。さらに、
その上流は依然として崩壊が続くのだ。この論理を敷衍するなら、
永久に最源流まで砂防堰堤を造り続け,提高を更にかさ上げしなければならない。
 陳腐な論理だ。寒気がする。
貴重な日本の自然を破壊しながら、そして財政をも崩壊させながら、
それでもまだ砂防堰堤を造り続けている。
この種の公共事業が決定するプロセスを検証すると、
日本のシステムは狂っているとしか言いようがない。
 河口から100m足らずの上流に構築された堰堤上から,下流を眺めてみる。(左下写真)
河口部に,小さな倉庫らしいものが見えるだけだ。人命財産を守るというのであれば、
その倉庫を移転させるだけで済む。費用は砂防堰堤の1基分にも、はるかに及ばないはずだ。
 実はこの砂防堰堤群のすぐ右の高台には、廃棄物の処理施設がある。
また左岸の一角には廃車の山が出来ている。まだ付帯工事が続く堰堤は、出来たばかりだ。
それなのに堰堤内部は、土砂で満杯になっている。
うがった見方をするなら,廃棄物処理場の土砂の捨て場に困って、砂防堰堤を造った?
そう指摘されても、返事が出来るのだろうか。大それた論理はどこへ行ったの?
 客土用の土を一輪車で運んでいた地元の農婦に聞いてみた。
 「この砂防堰堤を造るのに、地元の皆さんは了解したのですか?」
 「オラしてねえ。谷は明るくなったけんど、自然が無くなったなあ。オラ無い方がいい」
 知床の渓流には、やはり砂防堰堤は似合わない。
   
砂防堰堤上から下流を望む             50m置きに4基連続砂防堰堤が造られていた

三番目の砂防堰堤。すでに堰堤の上から水が落下。土砂を捨てた証拠

   
知床の優勢種オショロコマ。堰堤と堰堤の間にも,しぶとく生息していた。 唯一ヤマメの釣れた小渓流

  羅臼川のエゾシカ