成瀬川の行く末(上)
安比川の釣りを終わって、帰路につくべく安代インターから高速道へ乗っかった。8月16日Uターンのさなかである。この辺りの東北自動車道の路肩には、ナナカマドが植えられていて、例年だと実が色づき始めるのだけれど、今年はまだ青かった。車は多いけれど、盛岡までは順調に流れていた。花巻を過ぎると渋滞が始まった。北上江釣子までは何とか動いた。
最近の帰省客は利口になって、Uターンは分散されていると読んだのが間違いの元だった。降りる予定の白石インターはまだ遠い。次の水沢インターがやけに遠く思えた。やがて電光掲示板の情報が目に飛び込んできた。前方事故車あり10キロ渋滞。しまった!逃げるにしても秋田自動車道のジャンクションは通り過ぎている。まあいいか、別に急ぐ旅じゃない。次で降りてR4をゆっくり走ろう。と腹をくくった。
ところが料金所でも車の列が続いている。R4へ出る1Kmに30分を費やしてしまった。もちろんその先も渋滞している。仕方なくR229へでた。胆沢川に沿ったルートはまったく初めてだった。予定変更のハプニングが、その人との出会いのプロローグとなる。
ここは元禄時代、芭蕉が旅したルートでもある。当時の賑わいとは逆に、現代はさびれた国道だ。石淵ダムの下で尿前沢が合流していて、その辺りが尿前(シトマエ)と言われる地名になっている。多分芭蕉はここの宿屋に泊ったはずなのだけれど、人家などはみあたらなかった。左へ降りて行く細い道の先に、石淵温泉の記号があった。その辺りがかっての集落跡なのかも知れない。
道はアスファルト舗装されているけれど、どことなく静かなたたずまいを感じていた。お盆だと言うのに車の通りも少ない。路傍に、コスモスの花がひっそりと咲き始めていた。それほど標高が高いとは思わないのに、そこは夏の暑さとは無縁だった。こういうところこそ渓流釣りにふさわしい。釣り場も結構ありそうだ。高速道路でロスしなければ、尿前渓谷へ入ってみたかった。しかし早く峠を越え、宿をさがさなければならない。ダムサイトを過ぎたところで運転を代わってもらった。
リクライニングを倒し、目をつぶった。不意に芭蕉の一句が浮かんだ。
夏草や つわものどもが 夢のあと
なんじゃこれは。確か芭蕉が尿前の宿で泊った時には、ノミやシラミと一緒だったはずだ。しかしその句はどうしても出てこなかった。高速を降りて地図を見たとき、衣川村の地名が無意識のうちに刷り込まれたのだろう。胆沢川の隣には、衣川古戦場跡があったのだ。
胆沢川流域は、平安時代から江戸時代にかけて開けていったのだろう。いや違う。それより遥か以前、縄文後期にはすでにアイヌ民族の生活エリアだったに違いない。尿前、市野々などの地名がそれを物語っている。
胆沢川が山に入るところから辿ってみる。胆沢第2発電所、若柳ダム、胆沢第1発電所、そして石淵ダムと続く。この川も、高度経済成長路線の犠牲になって破壊されたのだろう。住民はどんな甘い言葉をささやかれて、ダム建設に同意したのだろうか。「ダムが出来れば、観光地になってお金を落として行く」「道を広げて舗装しますよ。そうすれば町へ出るのも楽になる」「町には固定資産税がたっぷり入って、皆さんの生活も豊かになりますよ」などなど、なんとなく想像できる。
コンクリートで固められた川は、人が近づけない場所となって、こんな看板が立つようになる。
{よい子は川で遊ばない}
親の目を盗んで、子どもたちは川へ冒険に行く。そこには発電所がすべて吸取った、川の残骸があるだけだ。僅かな水溜りには小魚さえいない。看板を立てるまでもなく、子どもたちはそっぽを向いている。やがて10年20年と歳月が流れ、成長した彼らは魅力ない故郷を後にする。残った大人たちは、ささやかれた言葉が幻想だったことに気がつく。
胆沢川流域がこのような経過を辿ったとは言わないけれど、感動する心を育まないところ、つまり自然環境を破壊した場所で、いくらふるさと創生を叫んだところで、もはや手遅れなのだ。21世紀には、物質的豊かさだけではない価値観の変動が起こり、再び山へ帰ろうと言う人々が多くなってくるに違いない。そのときせめて川だけでも自然の姿をとどめ残しておきたい。水が普通に流れ、秋になればサケが遡る。蛍が飛びかい、アユやウナギが、いつでも海と往復出来る条件は、不可欠である。
そう言えば、さっき通り過ぎた市野々集落は、かってサケが産卵していた場所だし、尿前の本来の呼び方は、シュク・オマ・イ、熊のいるところという意味なのだ。
胆沢川に沿ってR397は、曲がりくねりながら、標高1千mほどの分水嶺へと向かっている。いかにもイワナがいそうな渓谷が続いていた。
峠を過ぎると秋田県。5KmでR342に突き当たる。そこが東成瀬村だ。有名な渓流釣り場、成瀬川の雄大な流れが目の前ににあった。10年ほど前、横手市に住む友人、小林君に案内してもらって以来だ。あのときも真夏だった。ヤマメが少し釣れた記憶がある。
成瀬川は増田町で皆瀬川に合流、十文字町を経て雄物川へと注ぐ。どうして10年以上ここへ来なかったのだろう。それにはいくつかの理由があった。道路が川から高いところにあり、アクセスしにくい。したがって核心部へ近づくルートを知らなかった。そして谷地地内にある巨大な砂防ダム、そして皆瀬川と合流する寸前にある頭首工。二つの大きな構築物が、釣り師の内面を微妙に左右するのだ。まして頭首工から下流には、夏とはいえ、一滴の水も流れていないのだった。ヤマメ釣りが主なぼくにとって、海からサクラマスが補給されない場所はなんとなく味気ない。
不本意にもこの川へ出てきたけれど、釣りをするかどうかはわからない。とはいっても、お盆の最中、早く宿を見つけないと野宿を強いられる。蚊に食われるのはいやだ。風呂にも入りたい。給油に寄ったスタンドが親切で、何箇所も電話をかけて、ようやく空きのある民宿を探してくれたのである。ちょうど午後3時を回ったところだった。
成瀬川に沿ってR342を10Kmほど戻った、天江集落にその民宿はあった。
日没まではまだ時間がある。夕食と宿泊を予約してから、上流へと向かった。6,7Kmで本流の橋がある。その右岸のたもとに川へ降りて行く道が付いていた。橋の上から見たとき、2,3台止まっていたから車も降りて行けるらしい。それにしてもひどい悪路だった。降り立った地点から100m上流には、デンと砂防堰堤が行く手を阻んでいた。3人で適当に竿を出したけれど、魚の気配すらしないのだ。開けた釣りやすい典型的な渓谷でありながら、釣り場とは言えないところだった。本来海と直接繋がっていれば、少なくとも木っ端ヤマメくらいはいるはずなのだ。予想は見事に的中してしまった。激しい夕立がやってきた。早々に宿へ戻るしかなかった。
宿のあたりは小降になっていたけれど、南の方角は黒い雲が垂れ込め、雷鳴が響いていた。女将さんが心配そうに空を見上げていた。
「どうしたの?」
「なぁに亭主がね、お客さんを案内して奥までイワナ釣りに行ったんだども、なかなか帰ってこない。普通だととっぐに帰っているんだどもね。」
「大丈夫だべさ。増水するほどの降りじゃなかったしね。なーに父ちゃん帰ってこなくても、おれたちゃやもめだ、誰か一人置いていぐから!ガッハハ」
ジョークを飛ばしてから温泉に入った。やや濁りのきつい、無臭の泉質だった。
矩形のテーブルを二つつなげた食卓に、家族と一緒に座るのがここの夕食のスタイルだった。成瀬川源流の探索に出かけていた二人も、無事帰還していた。おばあちゃん、主人夫婦、そして東京の若いフライマン、と僕たち3人。お互い初対面の挨拶を交わすうちに、うら若い娘さんが入ってきた。勤めが終わって帰宅したばかりだという。
「ヤヤヤッ、メッチャ秋田美人だなや」
こうれいの(実際は本心から)挨拶を投げかける。するとコップによく冷えたビールが注がれるという寸法である。
「どっかに、ええオドゴイネべが」早く結婚してくれないと困ると、女将さんは言っている。ありきたりの外交辞令につきあっていると、つい本人にはセクハラと受け取られらかねないから、適当に撤退しないといけない。
「本当に、彼氏いないの?」と聞いてから
「それじゃ、婿殿を探すお手伝いをしてあげます。あなたほどの美人なら、応募者多数で選り取りみどりですよ、きっと。明日朝写真を撮ります。お母さんと一緒に玄関へ出てきてくださいね。間もなくホームページを開設するので、花婿募集広告を載せます」
「ワァうれしい」
半分は本気で提案したのだけれど、翌朝彼女の姿はなかった。早い出勤だったのかも知れない。
初対面の釣り師が交わす会話といえば、釣れた魚と相場は決まっている。じっくりと成瀬川源流紀行を拝聴する。自称ヘナチョコ・フライマンは、夜明け前から歩き始め、3,4時間かかって目的の沢へたどり着いたという。山になれた親父さんについてゆくのだから、相当きつかったのだろう。帰りも夕立に追われて、否応無しにピッチが上がったに違いない。ありありと疲れが表情に出ていた。
それでもたった1匹釣れたイワナの話を、楽しそうに話してくれたのである。案内された場所は、めったに釣り師の入らない、奥の隠し沢で
「イワナはいくらでもいると親父さんは言うけれど、僕のフライにやっと1匹掛かりました。リリースしてきました」。
「もったいない」
と、親父さん。天然イワナの味噌田楽を売り物にしている民宿としては、理屈は合っている。それに引き換え4,5日の休暇を取り、何時間も歩いてやっと釣れた1匹のイワナ。ヘナチョコフライマンにとって、自分の手作りフライに掛かったという事実が貴重であり、疲れたけれど歩きながら目に入ってくる風景の記憶が、彼の収穫なのだ。と僕には理解できる。釣りの楽しみとは、つまり、そういう事なのだ。
とは言うものの、僕は古いタイプの釣り師だから、東京の若いフライマンの心境には到底及ばないのだ。釣ったヤマメは、食べる数だけはキープしているから、偉そうなことは言えない。現にこのテーブルには、宿に到着したときお願いした、ヤマメの田楽が並んでいる。自分で調理しない料理はやはりおいしい。しかも新鮮だ。遠野の民宿以来、3年ぶりのヤマメの味噌田楽だった。自分たちが釣った魚を調理してもらうのは、民宿に限る。旅館やホテルだと頼みにくい。
4,5年前、岩手の釣り師からイワナ釣りの手ほどきを受けた親父さんの話は、流れるように続いていた。成瀬川の源流地帯は、何本も支流があって、そのうち2本は自分の専用つり場だという。泊る釣り師を無料で案内、自分は商売用のイワナを釣ってくる。それでいいのだという。
「イワナ1匹、山が読める」
会話の中で飛び出した、親父さん語録である。説明するまでもなく、釣れたイワナを観察すれば、山の環境が判ると言っている。この言葉が、僕の心の琴線を振るわせたけれど、その信号がとんでもない回路に接続しようとしていたのである。
「東成瀬村には、いまどき、珍しい看板があちこちに立っていますね。」
ぼくの質問に親父さんの手が一瞬止まり、焦点の定まらない目がさ迷っていた。やがてにっこりと笑うと、良くぞ聞いてくれたと言わぬばかりに、ビールを一気に飲み干して話し始めた。
「オレは去年の村会議員選挙に出て、アレの建設推進を訴えて当選した。」
と言うと、おもむろにポケットから名刺を取り出した。東成瀬村議会議員・産業建設常任委員とあった。名刺をもらったからには、僕も自分のを出さないわけにはいかない。肩書きと言えばNPO、つまり、非営利会社の社員でしかない。渓流再生フォーラムなどという意味不明の会社名を、村議会議員殿が理解しただろうか。
「この村も年々過疎化が進んでいて、何とかアレによって村の活性化を図らなければならない。約1,600億円もの巨費が投じられる予定なんだ。」
(どうだ、すごいもんだろう!)と言うニュアンスがこもっていた。アレとはもちろん成瀬川ダムであり、看板の文言とは、{成瀬川ダム早期着工推進}である。いまどき珍しいと言ったのは、ダム反対の看板はあちこちで見てきたけれど、ダム推進看板の立つところはまずないからだ。
僕は議論を始めようとするとき、いつも決まって単純な質問から入る。その内容がものの本質に関わることであったりすると、相手を詰まらせたり、どういうわけか怒らせてしまったりする。悪い癖だと思いながら、そして嫌われるとわかっていながら、なかなか直らない。自分でも嫌な性格だと思っているのだ。先日もつい口が滑って悶着を起こしてしまった。このときは、はなから議論するつもりなどはなく、単純な質問をしただけだったのだ。
県の環境部に事務局がある、環境NGO大会と言うイベントの会場で、手作り石鹸を売っていたリサイクル運動グループの幹部と思しき女性に、おずおずと、しかも丁寧に話しかけた。
「アノオー、簡単な質問をしていいですか?」
「エエどうぞ」
「廃油から石鹸を作るのは、牛乳パックからはがきを作るのと同様、かえって余分なエネルギーを消費してしまい、地球環境にとってはマイナスだ。と言う説がありますが、あなたはどう思われますか?」
とたんに表情がけわしくなりキッとにらんだ彼女の目に、ああまたやっちゃったと後悔した。そしてとうとうと述べる彼女の会の理念や理想を、長々と聞かされる羽目になった。要するに合成洗剤はよくないから、石鹸を使ってくださいと言うことらしい。彼女の話が一段らくしたところで、いった。
「あなたの言っていることはヨークわかりました。ありがとうございました」
で、終われば良かったものを、ついまた口のほうが開いてしまった。
「でも僕が質問したのは、そんな事ではなく、あなたの意見を聞きたかったんです。」
彼女の表情がますます険しくなったのは、言うまでもない。
「私個人では、石鹸作りなんかしないわ。でも労力はみんなのボランテァだから(消費エネルギーから差し引いてちょうだい!)__」
括弧の中は僕が勝手に付け加えた言葉だけれど、彼女はそう言うとさっさと行ってしまった。
県が呼びかけ、環境問題に取組むNGO(NPO)が集まったグループである。入れてもらったばかりの僕たちのNPOは、言うなれば、新入生なのだ。先輩たちがどのような意識で参加しているのか?どんなレベルなのか?それとなく知りたいと言う意図がなかったと言えば嘘になる。結果、僕の質問は、彼女にとってもっとも難解であり、顰蹙を買う嫌なものだったのかも知れない。本当は、感情的にならない、確信犯的冷静な答を聞きたかったのだ。つまりこんな回答でよかったのだ。
「エエ、(そういう意見があることは)知ってるわ。でもエネルギー消費の多寡じゃなく、今必要なのは、石鹸作りを通して、みんなの環境問題に対する意識の向上を図るのが先決だと思うの。だから、もう少しの間、私たちに石鹸作りをさせて!」
中年の小母さんに、こんなかわいい答を要求するのが、そもそもの間違いだろうけれど、少なくともヒステリックにならない、堂々とした意見が聞けたとしたら、僕は彼女を尊敬していただろうし、彼女の所属する会のレベルの高さを、否応なく認めざるをえなかっただろう。
たった今恥をかき、自分自身に嫌気が差し、反省したばかりだと言うのに、もう一箇所どうしても聞きたいコーナーがあった。そこは僕たちより一年以上も前にNPOになった会の販売区画である。言うなれば大先輩だ。小学生の低学年くらいの子どもと、大人二人が、ビニール袋に入った割り箸の炭を売っていた。僕は子猫が、親の食べているえさ箱に恐る恐る近づくときのように、切り出した。
「アノオー、簡単な質問ですが、いいでしょうか?」
「どうぞ、どうぞ」
「この割り箸の炭は、一般市販品と比べて値段はどれくらい違うのですか?」
「ん?さあー___」
質問の意味を量りかねて、戸惑っているようだ。彼は先ほどの女性と同じパターンで、捨てられる割り箸を炭に変えて利用する意義を話し始めた。{素晴らしいことじゃないですか。ええ、そうですか。なるほど。}などと相槌を打ちながら話の終わるのを待った。そして少し具体的な質問に切り替えた。
「実は県庁で、先輩である皆さんの,NPO申請書を閲覧させてもらいました。それによると収益事業をやると書いてありましたが、炭の販売もその一環ですか?NPOの経営は本当に大変なことはわかります。ですから収益事業によって少しでも利益をあげ、活動資金に当てているのでしょうね。それでこの割り箸の炭がですね、市販のものと比べて、どの程度競争力があり、利益をあげられるものか、それをお聞きしたかったのです。」
そしてやっと最初の質問に答えてもらったのである。
「比べてみたこともありません。それにうちは収益事業はまだやっていないようですよ。」
そのNPOの理事を務めていると言った彼にしては、まるで人事のような返事に聞こえた。
割り箸炭の生産コストを彼に聞いたところで、回答を引き出せるわけがない。
任意団体にしろNPOにしろ、環境問題、特にリサイクル関連の活動は、多くの自己矛盾を抱えていて、前途多難を予感した。
さて再び成瀬川ダムの話に戻ろう。質問はいつものとおり、基本的なことから入った。
「なぜ、ここにダムを造らなければならないのか?」
相手は絶対に自説を曲げることのない,確信犯だ。もし変更したりしたら選挙民を裏切ることになる。これは面白い、どこまで揺さぶりをかけられるか、思い切り議論が出来る。村会議員殿のダム必要論は今まで何十篇も聞いた論理だ。そしてその反論と言えば、これまたマンネリ化している。いまさら僕がそれを繰り返したところで、へとも思わないだろう。しかし、一通りの反対論は披瀝しておく必要がある。案の定、彼におちょくられてしまった。
「あんたの言うことは、大学の先生の言うことと同じだ」
そんなことはとっくの昔に知っているよ。と勝ち誇ったように言った。僕は大学の先生と一緒にされたことにムッときたけれど、村会議員殿は上機嫌で隣に座っている奥さんに向かって言った。
「ビールをもってこいや。おれのオゴリだ。」
敵もさるもの、一筋縄ではいかない。ムダとは思うけれど、戦術を変えて別な角度から揺さぶりをかけよう。{イワナ一匹_}の語録に触発されて琴線を鳴らした信号が、まさに接続先を見つけて繋がったのである。
成瀬川の源流地帯には、イヌワシも生息している。ダム建設が猛禽類に与える影響などを述べたところで、彼にとってはむなしい話だ。僕は民宿経営の家族全員に向かって語りかけた。 (続く)