青森県知事
     木村守男様

 新しい世紀の幕開けです、おめでとう御座います。
 昨今の政治の世界も、長野県が象徴するように、庶民の意識が、凄く変化していることに思い至ります。そんな中にあって、これからの青森県の方向を模索されていることと拝察いたします。
 今日、まさに21世紀の元旦に、お願いがあってパソコンに向かっています。実は決して私個人のお願いではなく、貴県の或る農民夫婦の代弁でもあるのです。そしてこのことは、青森一県の問題ではなく、日本列島全体の問題でもあるのです。本当は、個人的に手紙を差し上げようと思っていたのですが、できるだけインパクトを持たせようと、今日まで待っていました。どうかこういう形で手紙を書く、ご無礼を御許しください。
 私は気ままな旅が好きで、仲間ニ、三人でよく東北へ出かけています。昨年九月、鯵ヶ沢から日本海側を南下していました。もう秋田県との県境に近い津梅川に入って行きました。おりしも稲の収穫が真っ盛りでした。それも機械など使わない手作業の稲刈りでした。その姿を撮影しようと、水田のある対岸へ近づいて行きました。近づくにつれ異様な悪臭が漂い始めました。小さなコンクリートの橋を渡るときに気がついたのですが、どうやらその匂いは、水面から沸いているような感じでした。
 4,5年前に来たときには、異常はなかったから、養豚場か牛舎ができて、上流で汚水を垂れ流しているのかも知れない。と思っていました。初老にさしかかった農民夫婦に聞いてみました。
 「この悪臭は一体なんですか?」
 「上流に砂防堰堤が4基も出来て、そこに落ち葉が堆積するもんだから、メタンや硫化水素がが発生しているらしい。」
 「この悪臭じゃやりきれないですよね。生活にも支障があるんじゃないですか?どうしてお役人に言わないんですか」
 「言ったさ。言ったがなしのつぶてだ。」
 この後私と農民夫婦の会話は、延々と続きました。会話を再現すると長くなりますので、要点を記しておきます。
  河口から三百m上流に、最初の砂防堰堤が造られた。自分たちが望んだものではない。何でいらないもを造るんだと県の役人に言うと、わざわざ予算を捕って、造ってやったのに、ありがたいと思えと来た。ここにあんなものを造らなければならない理由を聞くと、百年に一度の水害から守ってやるとのこと。一体水害から何を守ると言うのだの質問には返答なし。おれたちは昔から少しくらい水害で田んぼを削られても平気だった。たとえ百年に一度の大水が出たところで、被害に遭う人家など、一軒も無い現実をまるで見ていない。ここはこの辺でも一番いい水が流れていて、飲み水にしていたもんだ。水に色がつき、悪臭まで加わった。これじゃサケものぼれやしない。そう言うと慌てて魚道を作りに来た。しばらくすると、魚道は流木や土砂で詰まって、何の役にも立ちやしない。 それをまた言うと、こそこそと詰まったものを退かしにくる、その繰り返しだ。もうあきらめている。
 以上が農民の言い分でした。私も同感して、それじゃ木村知事に私のほうからお願いしておきます。ということに成り行き上なってしまったのです。
 昨年5月24日から26日まで、ホテル青森で[東北ラウンドテーブル2000]と言うシンポジュームが開催されました。知事も出席されました。そこに会から二人派遣したのですが、最後の宴会の席上で、当会の柏木と話をされたと報告を受けております。かっての田中角栄や、三内丸山遺跡に話題が及んだと伺っていました。こう書いてくれば思い出していただけたでしょうか。そんな事が頭をよぎり、つい気軽に農民夫婦と約束してしまいました。どうかお許しください。
 東北ラウンド2000の主題は、確か「環境資本主義時代への予感−自然力で東北を変える でした。
 21世紀は、まさに環境がキーワードになる筈です。どうか津梅川流域の農民の声を、聞いてあげてください。出来たら知事の現地視察をお願いいたします。地形や現地の声をじかに聞けば、ここの砂防堰堤の必要性が、皆無に近いことを知るはずです。
 真に美しく、豊かな青森県の構築のために、あえて砂防堰堤の撤去をご決断ください。またこれから別な地域に計画を立てる折には、住民が納得するアカウンタビリテイの実施を切にお願い申しあげます。これなくして、日本の未来は絶望的なのです。重ね重ねのご無礼をお許しください。   敬具           
 NPO・特定非営利活動法人
   代表理事 飯塚 友章 

                             ウエブアート


 こういう要請の仕方は、アンフエアーだったかも知れませんが、青森県関係の人でこれを読んでくれたら、是非知事にお届けください。