ヒメマスの味

 名所旧跡、神社仏閣に代表されるいわゆる観光地は、釣り旅とはいつも無関係だった。今年最後の旅は岩手、青森を回ることになった。秋田県が9月21日から禁漁になるので、やむをえない選択となったのである。新潟中央インターから、磐越道、東北道、八戸道と一気に北上した。一戸インターで下り、馬渕川水系を集中的に探訪する予定だった。
 十文字川、熊原川、猿辺川を見て五戸川へ出た。五戸川はR454に添って流れ、周りは水田が取り巻く典型的な里川だった。少し覗いてみたけれど、流れは変化に富んでいて、いかにもヤマメの生息環境に合っているように思われた。しかし禁漁寸前の里川では、ついにヤマメは姿を見せてくれなかった。
 五戸川のほとりに、キリストの墓があることは地図の上では知っていた。そこは青森県、新郷村沢口地区にあった。日本にキリストが来たという記録はあるはずがない。まさに2000年前は縄文時代が終わり、弥生時代の黎明期にさしかかっているころだ。僕たちが小学校で教わった神話の時代より、さらに古い昔に遡った時だ。ちなみに、記録として日本が現れるのは3世紀、中国の文献である。魏志倭人伝がそれだ。倭人伝とは言うものの、当時の政治体制の報告だけではなく、地誌全般の報告書なのだ。僕が特に興味を持ったのが植生である。渓流の釣り師としては当然かもしれないけれど、まわりの風景と一緒に原始の川を想像してしまうのだ。
 キリストの墓は、小高いところにあって、入り口には立派な駐車場が完備していた。ここは多分信仰の場所ではなく、観光地には違いない。書いてある由来などは、信じはしないけれど、どうしてもこの場所にキリストの墓地を作らなければならなかった、当時のひとたちの心情、ないしは必然性に興味があった。
 それを推理する材料として、看板の由来を撮ろうとしたけれど、フイルムがなくなっていることに初めて気がついた。長い坂道をまた車まで戻るのは億劫だった。この歳になるまで何万枚も写真を撮りながら、ろくなのがないのだ。こういう精神が、いい写真をとれない原因なのだろう。結局、そのままキリストの墓を後にした。
   

 奥入瀬川の中流部

 二日目のターゲットは、奥入瀬川水系に決めていた。新郷村から山へ入って、川目川、後藤川などを見て十和田市へ向かう予定が、観光客になり過ぎて時間がなくなった。R454を下り、五戸町でR4ヘ出た。午後3時を回っていた。まだ宿は決めていない。後藤川を渡る寸前の小さな峠に、ぽつんとあった喫茶店風のスナックに入った。高速を降りてから、コーヒーにありついていなかったのだ。ついでにここで民宿を探すことにした。
 「この近くに、旅館か民宿はないでしょうか?」
 「知り合いが民宿をやっているから、聞いてみてあげましょう。ここから一時間くらいで行ける所だから、夕食にはまにあいますよ」
 ママの電話を僕たちは、耳をすまして聞いていた。
 「空いているそうです。夕食も準備するそうです。」
 「それじゃ、お願いします」
 急遽決まった宿の場所を聞く。なんとそれは、十和田湖畔にあるという。地図を見る。なるほど今来た
R454を戻れば何とか一時間くらいで着きそうだ。しかし、さすらいの旅人としては同じ道を通りたくない。
十和田市からR102を上って行くことにしよう。そうすれば明日の釣り場を下見できる。そんな下心から、あえて2時間はかかりそうなルートを選んだ。
 支流が多く流れ込んでいる奥入瀬川の中流域は、期待に反してめちゃくちゃに破壊された川だった。取水堰堤があちこちにあるのが水流の変化でわかる。減水期とはいえ、まるで流れていない区間さえあった。R103が分岐する、奥入瀬渓流の入り口までは、きっとサケは上れないのだろうと想像した。ここは南部の鼻曲がりサケでけっこう有名なのだけれど、ごたぶんにもれず、下流部だけのサケになってしまったのだ。サケが遡れないということは、つまり、吾が愛するヤマメの補給源である、サクラマスも溯上できないということだ。
 サケ、アユ、ウナギ等、海と川を往復する魚を、専門用語で周縁性淡水魚という。最近はアユまで人工増殖の対象になって、自然産卵の情景を見るのが稀になってしまった。
 たかが魚というなかれ。自然界における野生の営みは、見る人間にとっても感動的な事象なのだ。目に見えない素晴らしい価値感を、河川行政は略奪し、人々は忘れ去った。


小さな渓流で幼い兄妹がヤマメを釣っていた(99年気仙川の支流で)

 
 観光地としての奥入瀬渓流は、30年ぶりに通った。前回は下り、今回は上って行くのだ。ウイークデーとはいえ、そしてまだ紅葉には早い季節にもかかわらず、遊歩道を散策する観光客が多かった。30年前のあの時のように、竿を出したい衝動に駆られたけれど、適当な駐車スペースがなかった。
 
 民宿の夕食にヒメマスの塩焼きが出た。そして宿に入るとき頼んだ、熊原川で釣ったヤマメの塩焼きと並んでいた。偶然とはいえ、味比べになってしまった。僕ははヒメマスを初めて食した。味は個人差が激しい感覚ではあるけれど、3人の意見は断然ヤマメが旨いの結論になった。ただし誤解を招くと悪いから、塩焼きに関しては、の条件をつけておこう。
 そんなことはおくびにも出さず、イワナ釣りをするという宿の若主人と、話が弾んだ。彼には十和田湖畔に住んでいる、何人かの釣り仲間がいて、外輪山の外からイワナを釣って来ては、十和田湖に注ぐ小さな渓流へ放流していると言う。
 やがて孵化した稚魚の一部は、湖へ下り、巨大化する。そのとき観光資源の一部でもあるヒメマスの養殖にどんな影響を及ぼすのだろうかと、少し心配になった。マアいいか。もともと十和田湖には魚がいなかったのだから。しかしブラックバスだけは、放流してもらいたくない。
 翌朝、イワナ運搬のノウハウを伝授して、その民宿を後にした。奥入瀬川での釣りはあきらめて、浅瀬石川に沿って下り、青森市へ向かった。なんとめずらしや、3日目のスケジュウールに、三内丸山遺跡訪問が入っていたのである。僕の気持ちの中に、観光地に行くという意識は当然なかった。ある探し物をしていたのである。
                    ウエブアート