[海府のヤマメ]=その特異な生態と行動=
                                            (1989年執筆)

 ルート345を村上市から三面川の橋を渡り北上、葡萄川までの海岸線を通称[笹川流れ]と言う。浸蝕された複雑な海岸線が素晴らしい景観を呈し、海水浴でもにぎ合う観光地である。やや距離をおいて平行するルート7を、新保岳(795メートル)を中心にした低い山並が分断している。山は急激に海へ落込み、猫の額ほどの平地に漁村が点在している。羽越線は半分トンネルの中にある。ここに入ると海に見とれて、ちょっと気づかないのだが、何となく違和感があるのは、山の斜面を覆っている、常緑照葉樹林を中心にした植生によるものだろう。まさにここは、西日本地方のどこかの海岸線を切取って付け変えた、そんな感じがする。地図を見れば、約三十キロの海岸線が、緩い弧を描いて日本海へ突出ているのが分る。早川の林道から条件さえよければ、能登半島の先端の山々が浮かんで見える。対馬暖流が能登を迂回し、佐渡海峡に入り、もろにこの海岸を洗う。[笹川流れ]の由来はこのあたりにある。暖かい潮流が気候条件を変え、局部的な植生変化をもたらしている。
 さて、この区間には北から脇川、今川、板貝川、笹川、桑川、椿川、早川、境井川、柏尾川、など十数本の小渓流が日本海へ流れ込む。小さいといっても河口から源流まで釣り上れば、一日では足りない流呈を持つ。この細い渓々が新潟では珍しい陸封ヤマメのエリアである。下北半島や秋田の雄物川水系にいる、スギノコといわれるヤマメと基本的には同じものと思えばよい。しかしここのヤマメは、全国どこの河川とも違う生態と型質を持つ。北の渓では珍しく、イワナが混生しないヤマメ単独の河川群であり、河口から最源流地帯までヤマメが生息している。ちなみに分水嶺を越えた反対側、つまりルート7に添って流れる三面川水系、高根川支流の須戸川、塩野町川の源流地帯はイワナのエリアで、中流部のヤマメはサクラマス系統である。早川と塩野町川の源頭を直線で結べば、おそらく一キロも無いはずである。地形的、気候的説明はこのへんにしておこう。
 数年前韓国の釣行で、アマゴと見違うと報告された例のヤマメと、ここの渓々で釣れるヤマメが酷似している。全部ではないが、ヒレも側線も真赤に染まった個体が、頻繁に観測出来るのもここの特徴といってよい。笹川流れ地区を海府とも言い、われわれは[海府のヤマメ]と呼んでいる。釣り上げて握った感触が軟らかいのも、釣り師だけが認識する特徴であろう。陸封型だから、他河川への移植放流もしているが、運搬時の死にやすい、ひ弱さも特徴である。面白いことに、ここのヤマメはパーマークをそのままにして、海と渓を頻繁に回遊している生態(産卵とは関係なく)は、特筆すべきものであろう。海の漁師に見せると、『この魚なら網にしょっちゅうかかるよ』と言う。特に雨あがりの直後、三十センチ前後から希には四十センチ近いものまで、何びきも釣れたりする。それも河口からわずか二、三百メートル入った地点である。
 以上述べた[海府のヤマメ]が、他河川と明らかに違う型質をそなえている事実を、あえて公表したのは、これからの保護活動に釣り人をも含め協力を要請したいからである。代表的渓流、今川の現状を報告しておこう。五年ほど前から、心ない釣り人がこの貴重な渓へ、イワナを放流してしまったのである。現在、在来のヤマメが駆逐されつつある。

 新潟平野は東のはずれに、五頭連峰が連なり、その麓に白鳥で有名な剽湖の水原町がある。そこの住人五十嵐新三氏は、十数年前からイワナの源頭放流を始めた先駆者である。「これこそ自分に与えられた仕事だ」と豪語するだけあって、渓流師独特の猛者どもをして「脱帽!」といわしめるほど、強烈な個性の持主でもある。渓流魚、特にイワナに対する考え、行動は妥協を許さない、ある種のカリスマ性を漂わすほど真摯である。われわれ(新潟県渓流協議会)のメンバーは、半分は尊敬と畏敬の念を込めて、「先生」と呼ぶ。もっとも退職時、学校の先生だったのだから、むべなるかなである。筆を握らせたらプロはだしの油絵を描くという。残念ながら筆者は、先生の絵に対面したことはない。風景は多分山で、イワナの棲む谷を彷彿させる深く暗い色調で、人間真理の深層に迫る絵であろうと、勝手に想像している。その[先生]を三顧の礼?をもって協議会に招聘したのである。当時あまりにも強烈な個性故に、会員の中でも反発がなかったとは言わない。「釣りだけならイワナなんか減りやしないさ」つい最近まで大方の渓流師は思っていた。だが、新潟の山々からイワナが姿を消し始め、この説も怪しくなってきた。源流部は永久禁漁にすべきだ、そんな気運が盛り上がる反面、源流師などという集団が出現すおよんで益々新潟(他県も同じだろう)の渓流は荒廃していった。行政が動くはずがない、まして源流を監視するのは不可能である。ウエットスーツで身をかためたり、ハーケンやロープまで装備した源流師を、遮る法的根拠もなければ理由もない。じゃどうすればイワナを守れるのか。そこで登場したのが[先生]の提唱する源頭放流の手法であった。
 源頭放流(五十嵐先生の造語である)は、本来生息しない渓流の最も上に、イワナの聖域を人工的に出現させることが目的である。源流師とて、標高千五百メートル前後の源流にはそうたやすく接近できない。厳しい自然環境の中で、何世代にもわたってイワナは増殖を続ける。やがて飽和状態になれば、自然に生息域が下流にまで広がる。釣りの楽しみは、永久に失われることなく続く。子孫に対しても、ささやかな贈物となろう。
 生態系を崩すと言う批判もあるにはある。しかしわれわれが選択したのは、現状ではこれ以外にない、という結論だった。二千メートルの山頂まで生きたイワナを運ぶ運搬具、イワナの大きさと尾数、温度管理、酸素供給方法、すべて完成の域に近いノウハウをそのまま引継ぐだけでよかった。完成されたテクノロジーは、その時点でなるほど!と納得するのはたやすい。だがここまで来るには試行錯誤の連続だったろうと思うし、涙ぐましい熱意と努力、加えてイワナの魅力にとりつかれた精神的原動力に、脱帽し限り無い敬意を表す。余談が長くなってしまった。要するに、われわれが、先生(今でも現役)から引継いだ源頭放流は、新潟の山をイワナで埋めつくそうという、壮大なロマンである。今川ですでに行われてしまったイワナの放流とは、意味が違うと言いたかったからである。

 話を戻そう。われわれが、あるニュアンスを込めて、[海府のヤマメ]と呼んでいる特筆すべき生態について、筆者の仮説も交え、もうすこし書いてみようと思う。
 ガラパゴス諸島の生物を観察したダーウィンは、進化論を書いた。隔絶された島でそれぞれ進化するゾウガメ、海と陸で住み分けるイグアナ、食性の違いによるフィンチの嘴の変化、中学生の頃わくわくするような興奮で読んだ記憶がよみがえる。ゴギ、キリクチ、ヤマトイワナ、ニッコウイワナ、アメマス、エゾイワナ、とイワナだけをみても日本には変種が生息する。ヨーロッパにはアルプスイワナ、北アメリカ大陸にはチャーが、アジア大陸にも未確認の種が生息するに違いない。生物(魚)は環境条件によってそれぞれ進化の道筋を辿る。したがって、陸封されたイワナが、それぞれの河川で紋様が微妙に違うからといって驚くにはあたらない。その意味で[海府のヤマメ]が特別な形態をしているからと、騒ぐほどのことではない。ただ、一人の渓流釣り師として彼等の進化の過程を考察(想像)したり、これからの保護活動に、興味津々たるものがあるに過ぎないのである。
 [海府のヤマメ]が、はたしてサケ科の古い形態なのか、このエリアだけで特殊な分化を遂げたのか定かではない。海辺に立てば粟島が目のまえに浮かんでいる。氷河時代、海退によって粟島と本州の間に大きな淡水湖が形成され(仮説)ていて、長い年月をかけて今の生態を獲得していった。四、五回おとずれた氷期と間氷期。激動する地球環境の中にあって[海府のヤマメ]はどのように厳しい環境を克服し、適応していったのか?
 あれはミンデルだったろうか、ギュンツ氷期だったろうか。それはどうでもよい。一つの氷河期を想定し、この辺りの風景を再現してみよう。季節は秋。現在の海面よりおよそ五、六十メートル下に海府湖(海底の地形図から推定、仮にこう名付けよう)が横わっている。対岸(今の粟島)に立って内陸部を望めば、朝日連峰は万年雪におおわれ、麓の谷筋はモレーンの堆積で殺伐とした原野が広がっている。葡萄山から、新保岳、三額山、鷹取山へと続く低い山並は、山頂近くまで針葉樹林がびっしり生茂げり、まだ残雪がところどころにあって緑とのコントラストが美しい。目を徐々に下へ転じると、桑川、笹川の谷に添ってミズナラ、クルミ、ヤナギ、昔ブナ、など現在とあまり変わらない渓畔林が、帯状に黄色く染まって湖岸まで伸びている。ナナカマドやある種のカエデは、真赤に紅葉して、黄色の帯に花を添えている。透明度の高い貧栄養湖である海府湖は、あくまでも蒼く澄み静かな湖面に周囲の景色がくっきりと写る。湖岸からさらに転じて、背後を振り返れば、針葉樹の樹海が広がり、所々に裸の岩が突出している。右手には海進時の溺れ谷を形成した三面川が、やがて平地に入ると樹海を蛇行ながら、視界から消えて行く。その地平線の彼方に、百五十メートルも海面が下がった渚がけむっている。樹海の切れ目には、草をはむオオツノジカの群れが見える。オオカミの群れは小形のシカを狙って円陣を組むところだ。ここにはナウマンゾウは登場しない。空にはオジロワシなど、大型の猛禽類が飛び交い、湖面では時々ヤマメが昆虫を捕食している。
 湖を渡って谷へ入ってみよう。渓畔林には、まだ蔦などの植物は侵入していない。カエデやムカシブナ、ナラなど広葉樹の落葉や枯枝が分厚く敷きつめられ、まるで天然の絨毯の上を歩くようだ。そっと渓流を覗こう。産卵がま近に迫ったヤマメは、細い流れを我先に遡っている。平均体長三、四十センチの集団だ。時々五、六十センチのジャンボヤマメものぼってくる。浅瀬では背びれを水面にだし、水しぶきをあげながら通りすぎる。よく見るとパーマークがはっきり浮かびあがっていて、ひれが赤いやつもいる。少し上流に目をやると、タヌキやイタチが砂場にたむろして盛んにヤマメをねらっている。ひんやりとした乾いた風がサーッと通り、梢がざわざわと鳴る。落葉がヤマメの上に降りかかる。
 氷河期の海府地方は、ざっとこんな風景だったのであろう。悠久の時間が流れ、やがて地球は温暖化が始まる。海府湖のヤマメ達にとって最初の試練が待ち構えていたのである。 1989年9月×日、早川。
 『伴さん。ここへはいってみますか?』
 『うぅーん』語尾が消える。どうも気のりがしないらしい。波打ちぎわの真上、早川橋から上流を見る。せいぜい四百メートルで砂防エンテイがある。無理もない。
 『ポイントは堰堤の落ち込みと、途中の三、四ケ所でしょうね』しばらく無言。
 『丁度雨あがりだから、海からでかいやつがのぼっていますよ』追討ちをかける。
 大伴さんの目がきらっと光った。かれこれ二十年近く、新潟やその近県を釣り歩いた仲である。地元の筆者の言葉にはすぐ乗ってくる。東京新潟間、新幹線で二時間たらずになったとは言え、遠来の客である。今年最後の釣行だから、型を見れば満足。その言葉を素直に受取って午前中笹川へ入った。型は見たが大物が出なかった。だがここでは、経験から確信に近い思いがある。そうでなければ、こんな所へ押し込みゃしない。
 『さぁ、入りましょう。ぼくは後からカメラを持ってついて行きますからね』
 ブドウ虫。第一投、二十八センチ赤いヤマメ。アサペン6×7が連続して鈍いシャッター音。そのすぐ上の浅瀬。足場悪く、陸にあがってブッシュの中からカメラを構える。サンショウの香りが鼻をつく。一瞬気が遠くなるような陶酔感。すでに第二投、ウイスカートーナメント5.3が半円を描いている。デカイ!薮を掻分けアングルを捜す。「駄目だそっちへひっぱると」声がでない。目印がゆっくり上空へ舞いあがる。ゲームセツト。伴さんの顔が遠くからでも歪んだような気がした。
 『いまのヤツはデカかったぜ』こんなことはいつだってあるさ。平然としている。
 『残念でした』とぼく。
 第三投は薮に覆われた流れ込み。すぐ背後でカメラを構えて待つ。五十センチ程の空間へするすると餌がすべり込む。見事な竿さばきだ。目印が二、三十センチ流下した所でぴたっと止まる。「根がかりか?」いや違う。ゆっくりゆっくり目印は上流へ移動しているではないか。この引きはチンピラヤマメではない。「今だ!」自分が竿を握っているように力が入る。二秒、三秒、…まだ合せがない。もしかしたら、よくあることだが、流れとの相関で錯覚しているのではないか?思わず余計な事を口走ってしまう。
 『伴さん。引いていますよ』
 『うん』ちらっと振り返ってニャッと笑う。
 そうか、わかっているのか。四秒、五秒…アイツはもうすでに釣り師のふところにはいったも同然と落着いている。ぼくならとっくに合せのタイミングは過ぎている。やや太めの重りを使う大伴流の神髄を見せてもらっている。ガッツン、水面が盛上がり炸裂する。と、当然想定したアングルで構えていた。ファインダーの中でも合せの瞬間は雰囲気で感じとれる。だが目印がすーっと視角から消えただけだった。抵抗があったのか無かったのかさえ分らないのだ。
 『なんだ、今のは?』けげんな顔で伴さんがつぶやく。鈎が消えている。
 『超大物か、さっきのやりとりでハリスに傷がついたんでしょう。もう一度やってみましょうよ』
 鈎の付替えが終わるのを待って、今度はぼくの餌箱からミミズをつけてやる。二度、三度、投餌がうまくいかない。伴さんの内的興奮が、ぼくにも伝わって来る。突出した枝にハリスが絡みつかないことを祈るだけだ。四度目、うまくいった。目印がさっきと全く同じ動きかたをしている。
 『来てますね』とぼく。穂先がきゅっと曲がった途端、糸がぐんぐん上流へ移動する。「三十五、六センチまでならゴボウ抜き」する伴さん、今度はさすがに慎重である。草付きの岸へ引張りあげた。三十一センチ、♂。ヤラセの写真は好きではないが、とにかくポーズをとってもらう。「ぼくには今年初めてかも知れない尺ヤマメ」の記念として。
 最後のポイント堰堤の落込み。かって満々と水を湛えたプールも、今は土砂で埋まってしまった。杣道を迂回し、ここは石嶋さん(渓流マンクラブ会長・東京)が入っている。ポイントが小さくなっていて、遂に尺ヤマメはでなかった。二十年前の尺ヤマメの入れ食いを思い出した。

 早川河口の砂防堰堤が、いつ出来たのかは知らない。多分戦後間もなく造られたものだろう。この堰堤の上からが本格的な釣り場である。かっては尺ヤマメの宝庫とさえ言われた渓である。「あそこのヤマメは気持ちが悪いから釣りたくない」いつの頃からか、こんな言葉を聞くようになった。理由は、寄生虫がびっしりと体側に食込んでいて食べる気がしないと言うのである。それは現在も続いている。堰堤下の個体は綺麗である。その事実から類推しても、海から遡上した証明にならないか?よしんば、堰堤から降下した個体が海へ入り、浸透圧機能を持たない淡水の寄生虫は脱落し、再びきれいな体で遡る。そのように推理できなくもない。堰堤は絶対にヤマメが越えられない高さである。砂防堰堤は進入禁止の一方通行をつくってしまった。いうなれば、ここのヤマメの本来あるべき生態系を、無残にも打ち壊してしまった。寄生虫ヤマメの出現は、自然の怒りであり、しっぺ返しなのである。

砂防堰堤、この大いなる虚構が、何故安易に構築され続けるのか?[新潟の水辺を考える会]で、ひょんなことから講演するはめになった。スライドをふんだんに使って、渓流域の河川改修の現状を訴えた。この会に参集した人達は、恐らく都市空間におけるウォーターフロントの在り方を中心に[考える会]だろうと錯覚したからである。矢板を打込んだ堤防から、緩やかな傾斜に直し、親水性の水辺に造り変える。建設省内部にも、民間の土木技術者にも、この考えが浸透しつつあるのは喜ばしい。現に新潟市の信濃川も、一部改修されている。だが渓流域は、依然として三面コンクリートというのは解せない。魚達の産卵場所や避難場所を奪い、上、下流の交流を遮断する。水辺の樹木は切り倒され、五十メートル置きに堰堤が造られる。自然景観とて貴重な財産である。水路と化した川に、住民はもっと怒りを表すべだろう。
 懇談会の席上、この会を主催する新潟大学の大熊教授に、砂防堰堤とは何か?筆者は集中的に質問した。大熊教授は日本でも有名な土木工学の学者である。やりとりの内容は省くが、結論だけを伝えておこう。
 『まず(砂防堰堤は)、必要ないでしょうね』
 こじんまりした会合ではあったが、オフレコと断りがなかった以上、この言葉を厳粛に受け止める必要があろう。では何故必要のない堰堤が造られてゆくのか。地域振興、失業対策、地元業者の育成といった諸々の理由により、公共事業と言う名のもとで、図式化してしまっているのだ。今年の国と自治体予算の中に、われわれ庶民からみれば気が遠くなる膨大な金額が、堰堤関連事業として載っているはずである。確たる科学的根拠もない、河川破壊の最たる堰堤に注ぎ込む浪費を、虚構と言わずに何と呼んだらいいのであろう。 「河川にコンクリートを打ち込むのは暴力だ」スイスのクリスチャン・ゲルディーは叫ぶ。近自然(河川)工法を提唱する大熊教授は、これからの河川工学の中で魚、鳥、植物等のファクターが必要だと主張する。かって(昭和四十年代)筆者は、新聞の随筆欄で同じ事を書いた記憶がある。(拙著・ヤマメよ永遠に・1987年参照。くしくも表紙が砂防堰堤)近自然工法が、これからの河川工事の主流になるであろうと期待している。勿論教育の現場においても、この概念が浸透しなければなるまい。官僚をも含め、新しい土木技術者像を、大熊教授の話の中に見たのである。
 またまた話が脱線してしまった。海府の小渓流は早川の例をみるまでもなく、ほとんどがコンクリートの構築物で死にそうなのだ。[海府のヤマメ]達にとって、現在の試練であり残酷物語なのである。氷河期の最初に遭遇する試練の話がまだ終わっていない。続けょう。

 海面を百五十メートルも低下させた水は、極地方や山岳地帯に雪氷の形で固定されているのだが、地球の温暖化によって溶けはじめる。海水面は数千年の時間をかけて海府湖にじわじわと迫ってくる。広大な針葉樹林も海底に沈み、山肌の植生にも変化が見えはじめる。最初波しぶきの形で塩水が湖に侵入していたであろう。湖を取り巻く地形は波の浸蝕で風穴があいたかも知れない。それも数十年で、あっという間に海府湖は波間に消えてしまうのである。
 サクラマス(ヤマメ)が、いつの時代に海と川の間を回遊(マイグレーション)する方法を獲得したのか、特定することは不可能であろう。しかし現在のサクラマスが保持している遺伝的形質、つまり先の回遊と、移動(北洋まで)時の方位探知能力は、多分氷河期以前に獲得したものであろう。海府湖に閉じこめられたサクラマス(ヤマメ)の、湖(淡水)渓流(淡水)間のマイグレーション.パターンは、案外初期に完成していたかも知れない。そこへ突然塩水が襲いかかる。回遊したいという内的衝動が全く無い、つまり内分泌的にはある種のホルモンのサージが無いまま、無防備のヤマメ達に浸透圧調整だけを強要したのである。数万年も昔に忘れてしまった調整機能を、どのようにして遠い記憶の彼方から呼び覚ましたのであろう。あるいは、一旦獲得した遺伝形質は、数万年のオーダーではは決して消える事なく、遺伝子にがっちり組みこまれていると考えれば、最初の試練と位置づけたこの事件を、[海府のヤマメ]達はいとも簡単にやり過ごしたに違いない。 [海府湖]は、過去三十万年の間、二回ないし三回、淡水化したかもしれない。生息環境の激変に耐えた過去の試練を逆手にとって、[海府のヤマメ]は劇的に変化した。他地域のヤマメ(サクラマス)が、降河時に銀毛化(スモルト)する、一つの現象を比較しても、[海府のヤマメ]は非常に不明確である。遡河時も同じ事が言える。つまり、外形的変化をしないでも、浸透圧調節が可能な、ある特殊な能力を獲得(進化)した。とも想像できる。反面、冒頭にも書いたとおり、漁師の話や状況証拠からみて、[海府のヤマメ]は、外洋まで旅(マイグレーション)する能力が欠落(退化)したのではないか。ちなみにこの地区を挟んで流れる三面川、葡萄川にはサクラマスが遡上する。現在、海と完全につながっている旧海府湖には、ヤマメ達をして、外洋へ出たいと言う衝動を誘発させない何かがある…この憶測はあまり現実的でなさそうだ。

 柏尾川の河口付近は、水田の中を流れる天井川である。土手に密生している樹木は谷の入口まで続き、これがあまり他(県内)では見掛けない種類だと気づくだろうか。谷へ入るとしばらく河岸段丘があって、畑などに利用されている。渓へ降りるあたりになると、入口とはがらっと植物相が変わる。ごく普通の、夏緑落葉樹の雑木林になっているのだ。この川は、喩一人工的な手が加わらない昔が残っている。尾根筋のすぐ下に魚止めの滝がある。釣りながらではその日には到達できない。その事が幸い?したかどうか、土砂崩れが川を堰き止め、幻の湖が出現したのを知る人は少ない。何年かして、地元のゼンマイ取りが尾根から覗くと巨大な魚が遊んでいる…というのである。小田君(筆者の友人山男)はその情報を直接キャッチ、意気揚々と出掛けて行った。
 『四時間かかりました。私が行った時は、山菜取りが言っていた、丸太のようなヤツは全然見えませんでした。でもヤマメはうじゃうじゃいましてね、下手な毛ばりにも五、六尾すぐかかりました。家で食べたんですが、これがなんと、ほとんど身が赤いんですよ。うまかったですねぇ…』
 この話を聞いたのが数年前である。ほとんど気にもかけていなかったのだが、「身が赤い」のだけが印象に残っていた。つまりサクラマスやベニザケの肉の色、サーモンピンクというやつだろう。ついこの間、遊びに来た彼に聞いてみた。
 『柏尾の池は、その後どうなりました?』
 『ええ、実は今年の夏(1989年)、また行ってみたんです。無いんです。消えちまったんです。渓を歩いていると臭いんでおかしいなぁー、と思ったら堰が崩れていたんです。でもあの匂いは一体なんでしょうね?』
 『メタンガスと一緒に発生した、硫化水素ですよ。多分』
 予想していた結果ではあるが、せめて写真だけは撮っておきたかった。赤いヤマメとの出会いは、これからだって機会はいくらでもある。ダムの崩壊で全滅するとは思えない。 数々の謎を秘めた[海府のヤマメ]。「あそこは、出来るだけそっとしておこうよ」今日まで、仲間にはそう言うしかなかった。

 笹川林道は私道である。私道侵入罪なる法律があるかどうかは知らない。十数年前、部落の人に注意された記憶がある。今回は表示がみあたらない。大伴、石嶋、奈良と筆者、強引?に乗り入れる。当然パトロールのジープに誰何される。
 『ここは私道なんです。退去してください』
 『分りました。上でUターンしてきます』
 釣りはもう終わっていたから、素直に答える。それにしても、退去とはきつい言葉だ。たいして邪魔にはならない擦れ違いでもあったし、相手は釣り人かと甘く見たのだろう。それ以上何も言わなかった。私道って一体誰の私道だと言うのだ。過ぎ去るジープの脇腹をチラッと見る。××製紙、たしかそう見えた。大手の製紙会社だ。何かある!一瞬いやな予感がよぎる。「ポイントが消えている。土砂が詰まっている」釣り終わった奈良君の呟きと重なったのだ。
 沢が三本に分れる辺り。山肌は無残に削り取られ、ブルドーザーの豪音が轟く。新しい林道が二本、更に奥へ延びようとしている。私有地に道を造り、チップを生産することに口出しはしない。だが我慢ならないのは、引き抜いた樹木やズリを、渓流に投げ込んでいることだ。「そっとして置こうよ」とした気持ちは、180度転換した。
 このままでは[海府のヤマメ]が滅びる。この日はっきりと危機感を確認した。てっとり早い保護対策は、地域住民の生活に支障をきたさない範囲内で、ここを保護水域に指定させることだ。だがここには、漁業権が設定されていない。県の水産課が話に乗るはずがない。さりとて環境保全課へ、天然記念物指定を働きかけても、返ってくる言葉が想像出来る。
 「お前らたかが釣り師の分際で、何が分るというのだ。根拠を示しなさい。根拠を」  あるいは、渓流協議会という背景の数をおもんばかって、言葉は丁寧だが鼻先でせせら笑いながら、こう言うかもしれない。
 「お話はうかがっておきます。どうもわれわれは魚の知識がありませんでね。水産課や大学の専門家の意見を聞いてから、検討することになるでしょうね。御苦労様でした。」 はい、さようなら。そう言って握りつぶす。子飼いの御用学者に聞いたところで、自然保護という認識があまりない人だから、一笑に付すに決まっている。したがって検討すらされないまま、お蔵入り。こんなところがオチだ。
 てっとり早いと考えたのが、容易でないことを知る。入口で挫折したのでは、先へ進まない。まず協議会のコンセンサスを得るところからはじめよう。運営委員会で知恵を出してもらう。
 「青森県や秋田県のスギノコは立派に保護されているのだから、その例を示すべきだ」 「紀伊半島ではキリクチでさえ天然記念物に指定されている。あんなものはただ紋様が少し違っているだけで、イワナそのものさ」
 「それはちょっと言い過ぎでしょう。いずれにしてもここのヤマメは、天然記念物の資格を十分備えてはいるでしょうね」
 「お偉い先生(国会議員)から、話を通しておくと早いし確実かも。なんたって役人はその筋には弱いですからね」
 「ぼくは反対だな。言ってみれば、釣り場を閉鎖するってことでしょう?あそこはもう二十年も釣っているけど、いい釣り場なんだよなぁ」
 「その話は無し。議論しているのはそれをしようということなんだから」
 「キャンペーンでも張りますか。うちの新聞に書いてもいいですよ」。等々、色々な意見が出るだろう。われわれの提言が行政サイドに取上げられるかどうかは、これからの戦術やアドバイザーの資質にもよる。慎重を期さなくてはならない。進言、検討、調査、決定、予算措置と、ざっと五年はかかるだろうか。それとも徒労に終わるか。
 [海府のヤマメ]が危機に瀕している現実を、議論だけで改善できると思うのは幻想に過ぎない。もしかしたら、「ここのヤマメは、貴重な遺伝子を持っている」かも知れないのだ。人類は二十一世紀に、あらゆる生物のバイオテクノロジーを確立するだろうと言われている。その時、多くの遺伝子があった方がいいに決まっている。
 もう一方で筆者を駆り立てるのは、徹底的な追跡調査である。同じサケ科でも、サクラマス(ヤマメ)の母川回帰性はまだ完全に解明されてはいない。[海府のヤマメ]は自分の生れた渓へ必ず戻るのか?それともランダムに他の渓へも上るのか?この調査は案外簡単である。近年開発された、耳石標識の手法を使う。
 耳石標識、文字通り耳慣れないこの言葉を説明しておこう。(ヤマメの)発眼卵を蛍光物質の溶液に一昼夜漬けて、卵の中の胚(稚魚)の微小な耳石(樹木の年輪に相当する)に沈着した蛍光物質を、標識として利用する方法である。画期的なのは、今までヒレを切るなど、非常に労力のかかる手作業に頼っていたものを、百万粒の単位で一括処理が可能になったことである。一度標識されたものは、終生消失しない。(東大、海洋研。塚田) この手法を使えば、一渓流で採捕した全ての卵に標識し、数年にわたって追跡出来る。小規模ながら、こうした標識放流実験と、その後に続く息の長い調査によって、[海府のヤマメ]が、その渓でどのように成長し、分布するのか、何年くらい生きるのか、海と渓を往復する回遊の実態は、本当はどうなのか。等々、われわれ釣り師が常々抱いている興味ある問題が明らかになるであろう。さらには、漁師の協力が得られれば、海での回遊の範囲なども分りそうだ。
 小さな渓だから、さし網もセットしやすいが、これだとすべての大きさの個体を捕獲できない。上流、下流にむけた簡単なトラップで間に合う。遡上日、降下日、水温、日照時間、気象などを記録すれば、大まかな回遊パターンが見えてきそうだ。無理かも知れないが、大学の友人に依頼して、その時点のホルモン量の測定などが出来れば、なお研究の範囲が広がる。
 捕獲、採卵、授精、標識処理、そしてバイパードボックスでの放流。困難な多くの問題点はあう。しかし、ともかくこの作業から出発しよう。魚は何故回遊をするのか?その根源的なメカニズムに迫ろう、などと言う大それた考えはない。追跡調査によって、[海府のヤマメ]の特異性を傍証し、保護の必然性を見い出だしたいだけなのである。

 ルート345は、新潟市を起点に海岸線を通り、最北の町府屋でR7と合流、今度は鼠ケ関川の右岸を内陸部へ、庄内地方を縦断、鳥海山の麓、吹浦で再び合流して終わる。このルートは多くの渓流を擁し、長い釣り行脚の中でも数々の思い出を残してくれた。言うなれば筆者にとって[渓流ロマンチック街道](未発表)である。[海府のヤマメ]には夢やロマンがある。そして笹川流れはルート345の入口でもある。その意味でこの報告は、街道シリーズのプロローグと位置付けられると思っている。
                      
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